学部卒业式における総长のことば
平成11年3月24日
総長 長尾 真
本日ここに元総長をはじめ名誉教授の先生方をお迎えし、平成10年度の卒業式を行いますことは、私ども京都大学の全教職員にとりまして大きな喜びとするところであります。2,709名の卒业生の諸君、まことにおめでとうございます。心からお慶びを申し上げます。
诸君の多くが京都大学へ入学した年は戦后50年にあたる1995年でしたが、この年には阪神淡路大地震が1月にあり、地下鉄サリン事件など社会を震骇させる事件がいろいろと起こった年でありました。また一方では円の交换レートが79円という史上最高を记録した年でもあったわけであります。それ以来今日までの4年间、日本経済が急速に悪化するとともに、多くの凶悪犯罪が出てくるなど社会全体が暗い时代に入ってきております。
このような困難な時代に学生生活を送った諸君は京都大学において何を学びとってくれたでしょうか。困難な時代になればなるほど、唯一頼れるものは諸君の頭の中に蓄積して来た知識と判断力、そして諸君の持つべき勇気であります。諸君は、気持ちを引き締め、よく勉強し、社会の深層で起こっている事柄をよく観察し、真剣に物事を考えながら学生生活を送ったことと思います。困難な時代は人を鍛えます。不透明な時代であればあるほど人は真剣に物事を考えるからでしょう。
考えてみますと、我々はあまりにも予定され、スケジュール化された世界に驯れすぎてしまったのではないでしょうか。例えばいわゆるパック旅行の场合を考えてみればそれがよく分かります。国内旅行でも海外旅行の场合でも、日程はきっちりと组まれます。何月何日には朝何时に起きて何时に出発といったことはもちろんのこと、空港や市内のホテル、见物や散歩をする所など、観光案内书や地図が全て用意されていて、なにもかもあらかじめ决められている訳であります。
昔はそんなことはほとんどありませんでした。例えば、芭蕉の奥の细道の旅にはほとんどスケジュールがなく、野宿同然の夜も过し、身の危険を感じながら、わずかに次の宿の名前だけを頼りに旅をしたのであります。その代り想像もしない风景に出合い、心からの惊きを忆え、他人の情けをしみじみと味わい、その心を俳句に咏むことが出来たのでありましょう。このような状况をみますと、现代は旅行本来の姿を见失ってしまっていると言えるでしょう。これは単に旅行の场合だけの话ではありません。人の一生についてもそうであります。あまりにも知识と情报が过剰であり、未来があまりにもスケジュール化されすぎてしまっております。これは考えてみれば异常なことであります。
あまりにもスケジュール化されすぎた旅においては、新しい発见、新しい経験というものはありえません。あらかじめ忆えていたことを现场において确认するということがせいぜい出来ることであります。未知の世界に立ち向うという紧张感や、新しい発见という惊きはほとんどない旅行や人生となってしまうのであります。これは人间の感覚を钝らせます。また未知の旅へ出るときの不安感、そして必要とされる勇気と冒険心、そういったものが全くない旅であり、人生となってしまいます。
旅行の本来の姿は、未知の世界に入り、未知との遭遇によって、先入観なくつぶさに観察し、考え行动し、人情を知り、それを通じて社会から多くのことを学ぶことにあったはずであります。今日はそれを失ってしまっておりますし、またこのような世界に対して疑いも抱かない时代となっているのであります。いやむしろ逆に、将来がスケジュール化されていない不透明な未来という状况に対しては过度の恐怖を抱き、そういった世界を拒否する态度さえ取るようになっています。これは个人の场合だけでなく、公司や社会そのものも、そのような考え方になっているのであります。そこで、ますます详细な调査をし、知识を蓄え、将来をできるだけよく予测することによって、この恐怖を逃れようとします。
学问が进み、情报技术が発达し、膨大な知识が蓄积されたからといって、本当に未来が确実に予测でき、自分の人生をスケジュール的に进展させてゆくことができるのでしょうか。そんなことがないことは谁の目にも明らかであります。世の中一寸先は闇であり、何が起こるか分からないのであり、诸君の人生は波澜万丈なのであります。阪神淡路大震灾はこれを如実に、痛いほど我々に示してくれたのであります。
我々はしかし、そんなことで甘んじていてよいはずはありません。このような混乱の时代においてこそ、诸君のような未来を担っていく人达がしっかりとした考え方を持ち、自信をもって进んでゆくべきであります。何が起こるか分からない时代に予めスケジュールを立てることはできず、どのような対処の仕方をしたらよいかということは分かりません。唯一頼れるのは诸君が学んだ学问、身につけた教养であります。これが诸君の持つべき自信の基础となるものであります。
前例のない状况に対しては、自分の持つ知识と思考力?判断力に頼らざるをえず、波澜万丈の时代には、遭遇するもの全てについて、虚心坦懐に観察し、真剣胜负で立ち向かわねばなりません。これはいわば人间力とでもいうべき全人格の力であり、诸君はその基础を京都大学の教室において学びとり、スポーツやクラブ活动において锻錬したはずであります。あとはよく考え、勇気をもって発言し、実行することでありましょう。
21世紀がグローバル化の時代となることは間違いありません。国境という壁はますます低くなり、日本も、そこに生きる諸君も世界から孤立して生きてゆくことはできず、世界の諸国とその人逹とともに生きてゆかねばなりません。こうした時代に、自分の考え方と立場をしっかりと持ち、客観的にみて妥当であると考えたことを明確に発言し、他人に納得してもらい、お互いに協力して実行してゆくことが必要でありますが、卒业生諸君はこれが間違いなく出来る人達であると信じます。
社会は诸君を锻えるべく待っているのであります。诸君はむしろそれを感谢し、社会に教えられ、社会とともに生き、社会を少しでも良くするように努力しなければなりませんが、阪神淡路大震灾をはじめとする社会の激动を経験し、京都大学ですぐれた学问を学び、自ら考え行动する学生生活を送った诸君は、きっとこの期待に応えてくれるものと思います。21世纪という未知で不透明ではありますが、人类にとって大きな可能性を秘めた时代に、自信と勇気をもって出発していってくれると信じております。これをもって诸君の门出に対する私のはなむけの言叶といたします。卒业おめでとうございます。