京都大学総務系OBの皆さまへ (2005年5月29日)

尾池 和夫

会場の様子

 あらゆる事业所に総务、あるいは庶务と呼ばれる部署があります。たった一人で何から何までこなしている部署であったり、たくさんの人たちが多くの仕事を分担していたり、いずれにしてもその事业所の総てを支える业务をする、まさに総务であります。
 私自身、実にさまざまな仕事をしてきました。今も総长の立场で、いろいろの场所に出入りする机会が多い毎日です。そのときに访问先の、最初に出会う方が総务系の职员である场合が多く、帰りの最后のご挨拶が総务系の方の场合が多いのです。「多いのです」と申し上げたのは、たまにその组织の长が、自ら出迎え、自ら见送るという事业所もあるからですが、そういう事业所では、その长が総务の部署そのものを自らご担当なのだという意识があるのだというように拝见します。
 そういう訳で、その事业所の印象は総务系の职员で决まるという、そういうお仕事をこなしてこられた皆さんの集まられる会へ、メッセージを送るという贵重な机会をいただき、感激しております。ありがとうございます。长年にわたって、京都大学のさまざまな场所を支える仕事をしていただき、京都大学の教育と研究を支援していただき、また、访れた人たちの印象に残る送り迎えをしていただいた皆さまに、京都大学を代表して心からお礼を申し上げます。

 情报革命、滨罢革命という言叶が盛んに闻かれる时代です。パソコン、インターネット、携帯电话などが仕事の道具として役立ちますが、それは、あくまでも手段で、それらを活用するのは人です。技术が进むと人の存在がますます重要になり、最初の出迎えがロボットであっても、それはあくまでもその事业所の宣伝であって、総务ではありえません。
 総务とは何かという説明は、「会社?団体で、全体の事务を统(す)べつかさどること。また、その职あるいは人。」と、広辞苑にあるように、21世纪も変わらないことでしょう。
 さまざまな公司などで、総务という仕事の説明がなされているのを见ると、その公司の考え方が见えてきます。
 例えば、社内を横断的に见る。「公司トップの女房役」としての役割。リストラクチャリングで真っ先に缩小して机能を损なってしまった公司。今必要なのは総务の復権。総务には一人一人の哲学が欠かせない。本当に幅広く、何でも屋さん。等々です。

集合写真

 総務とは組織全体に関する事務を扱う職種。総務はWord、Excelを使いこなす。総務は大学の校歌や応援歌などを歌うというのもあります。総務内の交流を進める職務というのもあります。管理部門の人が変わるとガラリと変わる仕事という表現もあります。総務とは骨、営業は血や肉、経営者が脳髄という言い方もありました。要するに骨ばかりではだめですが、なければ大変です。 大学では、慶應義塾の事務局の説明を見習わなければと思って、丁寧に読んだことがあります。全塾の運営に携わる事務局を「塾監局」と呼び、全体で3000名近い職員が義塾の運営業務を支えているそうです。慶應義塾では、1995年に「総務部」という名称を使うことにして、総務の原点に立ち返ることにしたそうです。大学院三田自治会でも、自治会機構改革に伴い、「業務の近代化の一貫として、この度、庶務実務についての手引きを作成した」とあります。
 私は以前から、京都大学は中小公司、あるいは零细公司の集まる大规模団地であると言ってきました。中小公司の资料を拝见しますと、「中小会社の総务担当者は万能选手でなければならない」とあります。まさに、京都大学の部局のあらゆる部署で、このような万能选手を勤めていただいた方々もたくさんおられると思います。また、それらの大规模団地の方の运営をしてくださった方々もおられます。
 私は、総务系の职员の方々が、実によく本を読み、学习につとめ、よく话をし、规定に通じていて的确な判断をするという场面に出会ってきました。そして大変なお世话になりながら、ひたすら感心してきました。この机会に、皆さまの仕事にあらためて敬意を表し、感谢の意を表したいと思います。今后とも京都大学をよろしくとお愿いしてご挨拶といたします。
 ありがとうございました。