尾池 和夫
今年も、多くの方々のご协力を得て、この「京都文化会议2005-地球化时代のこころを求めて」が开催され、期待した通り、あるいはそれ以上の成果をもって终了したことを报告し、関係の皆さまに心からお礼を申しあげます。
3日间、热心に讲演し、讨论し、また会场を运営して下さった方々、会场から热心に话を闻いて下さり、あるいは讨论に参加して下さった方々、またこの会议の主旨に賛同して支援して下さった団体や公司の方々に、组织委员会を代表して深く感谢しお礼を申しあげます。
この会议は、一昨年の「京都提言2003」にあるように、新たな英知を生み出し、21世纪の人间像の构筑をめざし、文明の真に普遍的なかたちを実现するために、各地に根ざす文化の復権とそこに宿る融和のこころを求め、若者たちが希望をいだくことのできる、来るべき世界の方向性を、强い実践の意思とともに提示するという主旨で开催されたものであります。
私もその様な主旨のもとに、私なりの考えをもって3日间この会场のすべての场面に出席いたしました。出席にあたって、私は昨年までの议论を思い起こしながら、皆さんの议论を拝聴しましたが、私自身のこの一年の体験もそれに重ねながら拝聴しておりました。
昨年のこの场面で、私は、変动帯にある日本列岛では、大地震や台风による被害の発生のたびに、変动帯の文化を身につけた市民の间の连帯が见られ、そこに人と地球の共生を基本とする日本の文化があると申しました。この京都には、活断层运动で山と盆地と扇状地ができ、豊かな地下水のある堆积层ができて、そこに育まれた変动帯の文化のこころを世界で共有することも、大切なことだと申しあげました。そして京都盆地とイングランドの穏やかな起伏と平地を京都盆地の构造と対比して话しました。
つい最近、私はスウェーデンを访问し、ウプサラ大学で贰鲍の大学の学长たちが集まる会议にも出席しました。ストックホルムのノーベル博物馆の馆长にも招待していただきました。博物馆にはアインシュタインがノーベル赏に决定されるまでの歴史が详しく説明され、関连の书类などが展示してありました。ノーベル赏はスウェーデンの文化であり、それを世界からの観光客が见にやってきます。これからノーベル赏の授赏式が行われるまで、ストックホルムの町はノーベル赏の祭典の町になります。京都でももうすぐ、同じように京都赏の授赏式が行われます。京都の町に学问の祭典が催されるのであります。
ストックホルムの町中を歩いていて、私は町中の至る所にむき出しになっている强固な岩盘の景色に深い感铭を覚えました。この町を整备していくとき、いかにダイナマイトの発明が必要であったかという想いで、至る所の岩盘を见て、ノーベル赏が生まれた背景をしっかりと见る思いを抱いたのです。
つい最近のこの旅行から、私は一方では、京都の地で、ノーベル赏学者や多くの伟大な学者たちが変动帯特有の扇状地にできた道を散歩しながら思索を重ねていった歴史を思い、一方では安定大陆の强固な岩盘から生まれたノーベル赏のことを思いながら、この京都文化会议に出席しておりました。
また、ウプサラの町では、川沿いの広场に店を出している茸売りと友だちになって、私の食べた日本の茸と比べて话がはずみましたが、茸を食べる文化は世界共通でありながら、その土地の人と一绪に食べないと、とても自分では判断できないローカルな文化であるということも考えました。もちろん创立が1477年という530年近い歴史を持つウプサラ大学のことも、100周年を祝ったばかりのこの京都大学と比べながら、この京都文化会议の3日间の议论を聴いておりました。
第1日目の記念講演では、村上 和雄さんが遺伝子をONにする話や、稲の遺伝子の解読のことを話しました。インドから参加のアジス?ナンディさんは、宗教、暴力、民主主義の現代社会の中でのゆくえを論じました。
第2日目の昨日、出掛ける前に狈贬碍総合テレビを见ていたら、そこに古代米を育てる农家の热意が登场して米の味を论じ、ニュースではニューデリーの爆弾テロ事件が报道され、またハイデラバードでの洪水に関连する被害の报道があり、大自然の现象では火星の大接近のニュースがありました。それらを见ながら、この会议の1日目の议论を聴いただけでも、テレビを见る眼を养われていることに気がついたのであります。
第2日目午前の高校生フォーラムでは、高校生たちの企画「愿えばかなう!」で、驰辞蝉丑颈さんをお招きして话を闻き、高校生からの质问にコメントをいただきました。头で考えるだけでなくやってみることで、あるいは伝えるにはどうしたらいいかを真剣に工夫することで、生きていく方向を见いだしてきたことが、かつての自分にもあてはめて、あらためて思い起こされる场面でした。同时に小説を発表した数分后には反応が返って来るという携帯小説の世界にも触れることができました。2年か3年、何か一つ必死で顽张ったら食えるようになるというメッセージがよかったと思います。私もあと3年の総长の任期を必死で顽张ってみようと思いました。
第2日目の午後のフォーラム1「こころのつながり-伝統と現代」では、私は科学技術の発展のなかでの伝統と文化のことを考えました。岡本 光平さんの書が持つ力、余白をとらえる力の話、邊留久オギュスト?ベルクさんの原風景と殺風景の話、ジュディ?オングさんの版画家翁 倩玉さんとしての、見た瞬間、これを作品にという木版画の話、それらからのまとめとして「うそでもいいから伝統を求めて、結果より過程が大切」というコーディネータとしてのシュテファン?カイザーさんの最後のコメントが印象に残る半日でした。
第3日目の今日、まず昨日行われたワークショップの内容が金田 章裕さんから報告されました。この内容も後日くわしく報告書で見ることができると楽しみにしております。こころがどんな場をよりどころとして働くのか、感動を伝えるためにどんな知恵と技を発揮してきたかが論じられました。
フォーラム2「こころが輝く-共感の場をもとめて-」では、応地 利明さん、河野 裕子さん、中西 重忠さん、吉村 芳之さんが、コーディネータ横山 俊夫さんとともに、ワークショップでの長い議論を背景にして話を展開しました。こころが輝くことのありようと、その輪が広がる仲立ちとなる場の工夫についてという設定でしたが、時間が足りなくて言い足りないままに終わったかもしれません。それは来年に続けていく原動力になることでしょう。
昨日のフォーラム1の会场からの発言の中に、京都大学のキャンパスが京都の风景を破壊して作られているという意味の発言がありました。私は组织委员会副会长としてではなく、京都大学の総长として、このきびしいご意见にたいへん感铭を受けるとともに真挚に受け止めました。
京都には活断层运动により自然に形成された盆地の地形があり、その原风景があったのですが、豊かな盆地には人が集まり都市が形成されるという原理があります。その结果、自然と人の営みとの共存の成果が知恵としてさまざまな形で蓄积されます。それが京都の文化であります。
かつて、东山には自然の地形を削って多数の神社仏阁が建设され、それらが京都の都の知の殿堂として机能し、人々のこころのよりどころともなって、今では世界の文化遗产となっていますが、一方では、方丈记にも描かれているように、都ができた顷には迁都そのものが人々には灾害でもあったのであります。京都大学の桂キャンパスのできた西山の竹林も、切り崩した斜面の崩壊を防ぐために人が植えたものであり、今ではその人工林も自然の美しさと言われるように京都盆地の原风景になっています。しかし、人工林は手を入れないで放置すると灾害を起こします。やがて桂のキャンパスも100年后には西山に存在する緑豊かな京都の知の殿堂の一つとして、京都の文化を発信する拠点の一つとして、自然の风景に融合することが、京都大学の役割の一つであろうと考えながら、私はこの会场からのご意见を拝聴したのです。
京都は世界遗产の町であり、现代の先端产业の町であり、市民が夸る文化の町であります。市民の日々の営みの中に育まれたこの京都の文化は、もっともローカルなものでありますが、それを穷め尽くすことによって、最もグローバルなものとして、世界の人々の精神のよりどころとなる、京都の文化とはそのようなものであると私は思っています。そのローカルな京都の文化を世界に発信する知の拠点としての大学の役割があると思うのであります。
いずれにせよ、3回にわたって开催された、この京都文化会议の成果として、参加した一人ひとりが、こころのことを考えるのですが、やはり组织委员会のメンバーの一人としては、この一连の稔り豊かな会议から、何か具体的な形となって次の成果を重ねていくしくみを作りたいと考えています。私见として申しあげますが、その一つは京都の文化としての京都赏の歴史を守り育てることだと思います。具体的には京都赏に関连する资料馆か博物馆ができるといいなと思っています。その次には、"办辞办辞谤辞"を世界の言叶に、迟蝉耻苍补尘颈や尘辞迟迟补颈苍补颈と同じように、世界に通用する言叶として広めたいと思います。そのためには、きびしい时期になかなか大変だとは思いますが、皆さまのご支援をいただきながら、こころの未来を永続的に研究する新しいしくみを持ちたいと思っています。このような梦を语りながら、この京都文化会议2005が、多くの贵重な知の蓄积を残して、成功里に终了したことを确认し、闭会を宣言させていただきたく存じます。
多数のご参加と热心な议论を、ほんとうにありがとうございました。