総合博物館 平成18年度秋季企画展「湯川秀樹?朝永振一郎生誕百年記念展-素粒子の世界を拓く-」開会式 式辞 (2006年10月3日)

尾池 和夫

尾池総長

 京都大学総合博物館 平成18年度秋季企画展「湯川秀樹?朝永振一郎生誕百年記念展-素粒子の世界を拓く-」の開催に際しまして一言ご挨拶を述べさせていただきます。

 朝永 振一郎博士は今年の去る3月31日が、湯川 秀樹博士は来年2007年1月23日が、それぞれ生誕百年にあたります。日本のノーベル賞受賞の第一号と第二号の両博士をわが京都大学が輩出したということは、我々京都大学の誇りとするところであります。京都大学では、この2006年度を「湯川?朝永生誕百年の記念年度」として、両博士を顕彰すると共に、その事蹟を広く国民に知ってもらうべくいろいろな記念事業を行うことを決めております。既に、その第一弾の企画として、去る3月26日(日曜日)から5月7日(日曜日)まで東京上野の国立科学博物館におきまして、湯川?朝永生誕百年記念展を両先生ゆかりの筑波大学、大阪大学と共同して企画展を開催いたしました。幸い、この企画展の反響は予想を超えるもので、総合科学技術会議担当の大臣の来館もあり、入場者数は 43日間の全会期で最終的に4万1千人を数えました。今さらながら、日本国民における両博士の存在の大きさを知る思いが致します。

 さて明日から明年1月28日までほぼ4ヶ月间、この京都大学総合博物馆でもこの记念展を开催する运びとなりました。これまで京大の学内で直に目に见える形では「汤川?朝永生诞百年の记念事业」が行われてきませんでしたので、この记念展开始が実质学内における色々な记念事业の皮切りであります。
 11月4日には、朝日新闻と共催で一般市民向けの记念シンポジウムを行います。10月から11月にかけての连続4回の土曜日には、展示会に付随した公开讲座を开きます。12月中旬には基础物理学研究所で物理研究者向けの生诞百年シンポジウムが开催されノーベル赏学者がたくさん参加します。来年、2007年1月23日の汤川先生の诞生日には、记念事业の掉尾を饰る记念式典と记念讲演会を予定しています。そのほか、记念碑建立や汤川?朝永赏创设のための记念募金活动も行っています。

 详しくは大学のホームページの「汤川朝永生诞百年记念事业」のページをご覧ください。

会場の様子

 

 明日からのこの京都大学における记念展は、上野の科学博物馆のそれの単なる巡回展では无く、こちらで新たに加えた部分もいくつかあります。
例えば、汤川博士が、世界大戦で中止になったソルベイ会议から帰る途中、アメリカのほうぼうの物理学者を访问した后日本に帰る船に、野依先生のご両亲がたまたま乗り合わせ、汤川博士と一绪に撮った写真が、(これは野依家の宝として大切に保存されていたものを野依先生から提供いただいたものですが)本邦初公开されています。
 また特に、両博士の生い立ちや教育环境、両博士を取り巻く京都大学関连の多士済々の人々、については、それぞれ、関连展示として、京大百周年时计台记念馆一阶の歴史展示室と京大サロンにおいて同时に展示しておりますので、合わせてご覧顶きたいと思います。

 (関连展示)
1. 二人を取り巻く人々(博物館での記念展と同一期間)
  京大百周年時計台記念館一階 京大サロン

2. 一中?三高?京大 -二人が学んだ学校- (11月7日から2007年1月28日)
  京大百周年時計台記念館一階 歴史展示室

 キャンパス内の両博士関连施设を示すツアーマップも用意しました。またせっかく京大で记念展をやりますので、土日祝日には、理学研究科物理学専攻の大学院生に解説员として博物馆に驻留してもらい、ガイドツアーをやってもらうようにしました。

 また、この记念展の开催に合わせて、「素粒子の世界を拓く」というタイトルの记念册子が京都大学学术出版会「学术选书」の一巻として刊行されました。これは中々読み応えのある両博士についての良质の评伝で、展示の解説に饱き足りない方々は、博物馆ショップでも贩売していますのでまた是非お読みいただけたらと思います。

 それにしましても、戦後間もない1949年に湯川 秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞をお受けになったことは、京都大学のみならず日本の一大事件でありました。たとえば、岡本 道雄第19代京都大学総長は、基礎物理学研究所25周年記念の式典に際して、その衝撃を次のように生々しく語っておられます。

尾池総長と佐藤先生

 「それにつけても想い出されますのは汤川先生がノーベル赏を受けられた昭和24年の顷であります。私は尚、医学部の助教授でありましたが、戦后の穷乏のあけくれの中に疲れることのみ多い毎日を送っていましたが『1949年ノーベル物理学赏日本の汤川教授に』との新闻报道は同じく科学研究に携わる私共に衝撃的感动を与えました。その夕の帰途にみた时计塔の灯は吉田山を背景にくっきり浮かび上がってみえました。ひとり科学者のみでなく日本国民全体は自信丧失の首を初めて伸ばし、世界をかいま见る気持ちを味わったのでした。以来、この25年はそれを契机に日本人が穷乏のどん底から自ら努力で次第次第に自信をとりもどし国际社会に登场する四半世纪でありました」

 1965年(昭和40年)には、さらに朝永博士の日本人二人目のノーベル赏受赏が発表されました。これも、京大の同级の同窓生が同じ素粒子物理学の分野で受赏!、ということで日本の多くの人が感铭をうけました。

 お二人は京都大学において同级生として、诞生间もない量子力学という新しい物理学を自学自习し、中でも场の量子论というさらに最先端の理论に果敢に挑戦しました。それを原子核の中の「强い力」の起源解明に适用してπ中间子の存在を予言して、「力の场=素粒子」というパラダイムを作ったのが汤川博士であります。一方、场の理论が持っている无限大の困难を解决して、电子と电磁场の精密科学としての量子电磁気学を完成させたのが朝永博士であります。

 お二人の物理学は、非常に基础的なものであります。今日のテレビ、コンピュータ、携帯电话、といった电子机器、リニアーモーターカーや惭搁滨に使われる超伝导、など、现代のあらゆるハイテクの基础は、量子力学と电磁気学であり、量子电磁気学や场の量子论はさらにその基础をなしています。また、汤川の中间子论は、太阳のエネルギーの起源やこの宇宙や天体の成り立ちを理解するためにも不可欠のものであります。

展覧会の様子

 このような物理学という専门分野での寄与の大きさもさることながら、両博士はまた、あい协力して、国民の负託から逃げることなく、戦后の研究体制の构筑ならびに教育、文化、平和の国民的课题に积极的に活跃されてきたのであります。原子核エネルギーの利用が先ず原子爆弾によって実现され、冷戦下で核兵器の开発?実験が盛んに行われるという人类存亡に関わる事态の中で、ラッセル?アインシュタイン宣言への署名、パグウォッシュ会议への参加、1962年の第1回科学者京都会议などを通して、原子力の平和利用への世论形成に大きな寄与をされました。また、汤川博士のノーベル赏受赏を记念した基础物理学研究所の発足に际しては、朝永博士らの努力により、全国共同利用研究所という全く新しい学术体制が作られました。

 このように両博士は、専门分野のみならずまことに见事な人生をえがかれたのであります。この生诞百年记念展が、日本の広范な人々にこのような両博士の事蹟を知って顶き、感动を共有する契机を与えることになれば诚に幸いなことであります。お二人を育てた精神风土に思いを致すとき、今日の我々の大学のあり方から、人间の生き方までも、あらためて考えるヒントが多くあるものと思います。

 最后になりましたが、この记念展の準备に遗品提供など全面的にご协力いただき、京大での展示会开催を心待ちにされていた汤川スミ夫人がこの5月にお亡くなりになりました。この内覧会や记念式典にご出席いただくことを期待していた我々にとっても大変残念なことです。
ご冥福をお祈りしたいと思います。

 この記念展の実質的な準備を進めていただいた、佐藤 文隆先生、江沢 洋(ひろし)先生、小沼 通二(みちじ)先生はじめ、協力の筑波大学、大阪大学、国立科学博物館ほかの、関係の皆様に深く感謝したいと思います。
 ありがとうございました。

 (当日の挨拶には、时间の都合で、この中の一部分のみを用いました。)