京大の「実は!」Vol.37 「 「文化财総合研究センター」の実は!(前編) ~大学構内で遺跡発掘!?~」

京都といえば、言わずと知れた歴史深き土地。

「掘れば出てくる!」と言っても过言ではないほどの、遗跡の宝库でもあります。

それは、ここ京都大学も同じ。実は、大学构内のいたるところに遗跡があるんです!

大学构内の発掘现场ってどんな感じ?、どんなものが発掘されるの?、発掘されたものって、どうなるの????

今回の「京大の実は!」では、そんなさまざまなギモンに広报叠が迫ります!

【前编】では、発掘现场と、遗物が眠る资料保管室の潜入レポート、さらに【后编】では、もう一つの保管先でもある重要文化财「尊攘堂」の内部と歴史を彻底レポートしますよ~!

「文化财総合研究センター」ってどんなところ?

京都大学構内には、吉田キャンパス北部構内の縄文時代の「北白川追分町遺跡」や、大阪府高槻市の農学部附属農場内にある弥生時代の「安満遺跡」など、全国的にみても古くからたくさんの有名な遺跡があります。 このほか吉田キャンパスのほぼ全域や、全国各地の附属施設内にも、 長い歴史を刻んだ貴重な埋蔵文化財が多数存在しています。

こうした学内に残る埋蔵文化財の調査を、建物や施設の建設の際に文化財保護法の主旨に則って実施し、 調査報告とそれをベースにした研究を目的として、1977年7月に「埋蔵文化財研究センター」が設置されました。その後、2008年4月に旧埋蔵文化財研究センターの改組により設置されたのが「文化财総合研究センター」です。現在は同センターが大学構内の発掘調査および出土資料等の管理を行っています。

センターの役割は主にこの叁つ!

①遗跡の発掘?记録

学内の建物の建设计画にしたがって、建筑予定地の発掘调査と记録保存を速やかに実施します。

②分析?研究

発掘された文化财を详しく调査?研究?分析し、データ化して蓄积し、报告书にまとめます。

③保存?公开

発掘された遗物を适切な场所?方法で保存し、さまざまな形で调査资料の公开を実施します。

遗跡発掘现场に潜入!「熊野职员宿舎跡地から出てきたものとは????」

そうとなれば、やっぱり発掘现场をナマで见たい!

???ということで、取材时にちょうど行われていた「京都大学熊野职员宿舎跡地」の発掘现场に潜入してきましたよ!

今回、発掘现场を案内してくださったのは???

「京大発掘マスター」 こと、冨井先生と内记先生です!

左から、冨井眞助教、 内记理助教。お二人ともに毎年約1、2箇所は発掘作業をしています。
1年のうち、およそ2分の1~3分の2を现场で过ごしていることに!

まずは基本情报から。京都大学熊野职员宿舎跡地「白河街区跡(しらかわがいくあと)」

京都大学熊野职员宿舎の改筑にともない、周知の遗跡である予定地1876平方メートルの発掘调査を実施しました。その结果、幕末顷の瓦を积み上げた构造物を良好な状态で确认でき、また埋设された壶の中から江戸时代の遗跡の発掘出土品としては珍しい祭祀用と思われる墨が出土するなど、考古学的にも大きな発见につながりました。

  • 遺 跡 名:白河街区跡(しらかわがいくあと)
  • 所 在 地:京都市左京区東竹屋町(京都大学熊野職員宿舎跡地)
  • 调査期间:平成27年9月28日~平成28年2月12日

今回の调査地点の周辺図(※クリックすると拡大します)

幕末京都絵図( 印が今回の调査区と推定される位置。※クリックすると拡大します)

(写真上)调査区全景、(右下)瓦积み遗构。瓦积み遗构は、砂地の地盘に掘り込んだ大きな沟の中に构筑されている。瓦は桟瓦とともに道具瓦なども多く用いているほか、巴文以外にも卍文(阿波蜂须贺家の家纹)などの文様を持つ轩丸瓦も含まれている。沟の検出地点は、幕末の絵図によれば、阿波徳岛藩邸の敷地の北縁の东部に位置する可能性が高く、沟は藩邸を区画する堀と思われ、瓦积み遗构は门のような重量のある构造物を支持するための地盘改良(=地业)と解釈できる。阿波徳岛藩邸の造営に伴うものと考えられる。(左下)瓦积み遗构のすぐ际で発见された土师器の壶。地镇の祭祀に用いられたと考えられる。(下中央)瓦积み遗构の中央部分の延长部で、同様の形状の壶の埋设遗构を発见。割れ落ちていた盖を取り外すと墨が出てきたことから、「胞衣壶(えなつぼ:子どもの成长祈愿などを愿い、壶や杯などの容器の中に胎盘などをおさめ盖をして地中に埋めたもの。一绪に笔、墨、刀子などを纳める场合もある)」の可能性が考えられる。

大学构内での遗跡発掘について、発掘マスターに闻きました!

初めて遗跡発掘现场に潜入した広报叠にとって、现场には谜がいっぱい。ここはひとつ、発掘マスターにいろいろ教えてもらいましょう!

「京都大学熊野职员宿舎跡地」の発掘现场风景

Q. なぜ、大学構内で発掘が行われるようになったのですか?

冨井 : ずっと前は、建物を建て替えるときも発掘作業は特に行わず、そのまま新しいものを建てていました。しかし、国立大学としても文化財を保存する責任がある!ということで、1970年頃を境に基本的には建物の建て替えごとに発掘し、記録として保存し、貴重なものは現地または移築で保存する方針になりました。

これまでの発掘調査の数は、面積にすると延べ100,000平方メートル以上!大学構内全体の約3割を掘ったことになりますね。大学の組織として文化財の調査を継続的に行うことは、貴重な歴史を復元するための資料を蓄積するだけでなく、 文化財に関する研究や調査技術の開発を進めていく上での、臨床的な場としても生かされているんですよ。

もちろん、全て完了したら、その后の工事のために整地します。

広报叠 :そうなんですね。何だかもったいない気がしてしまいます???(笑)。

Q. 発掘はどのように行うのですか?

冨井 :まずは大型ブルドーザーでざっくり掘り下げるところから始めます。遗跡があると想定されている深さは大体わかるので、それを壊さない程度のところまで。それから、细かい発掘作业に入ります。

広报叠 :たくさんの人が作业をしてますが???、冨井先生と内记先生以外の方も、みなさんセンターの関係者ですか?

冨井 :いえいえ。僕と内记先生以外は、みなさん発掘のプロの业者さんです。センターに所属の教员だけではとても人手が足りないですし、限られた期间内に作业を终えないといけないので、こうしたプロの力をかりながら発掘は进めています。僕らよりも现场惯れしている职人さんたちなので、頼もしいです!

発掘のプロのみなさん。手际よく作业をすすめていきます。

この日は身にしみるような寒い日。真冬や真夏の発掘作业はかなり大変ですね???。

広报叠 :へ~! こんな世界にもプロの業者さんがいるとは知らなかったです! では先生、発掘作業の流れについておしえていただけますか?

冨井 :建て替えなどによる学内の発掘作业は、まず、建物の建设计画に合わせて决まります。现场が决まったら、既に発掘された周辺の遗跡を基に全体のメドをつけ、「地层」から见て、地层ごとに掘っていきます。掘り出される地层1枚1枚ごとに様子をみていき、周辺の地层の様子をチェック。地层の色や内容物が全然违うので、それだけで年代がわかることが多いんですよ。「この地层は弥生时代かな。お、やっぱり。その时代の遗构が出てきたぞ!」といった具合。

広报叠 :その地層ごとに出てくる遺構で、さまざまなことが見えてくるんですね! まずは掘るところからとは。てっきり、資料などでしっかり下調べしてから???なのかと思っていました。

冨井 :そりゃあ、もちろん调べますよ。でも、そうした昔の絵図や资料などを照合できるのは、その后。掘ってから。なので、さらに确実にしていくという感じかな。现场から多くの情报が得られるんです。

それから、さらに细かい発掘作业に入ります。ここからは、かなり神経を使う繊细な作业。そして、「何がでてくるか???」楽しみでもある作业です。

今回の発掘の目玉の一つ、卍文様の轩丸瓦。キレイな状态で残っていますね!

细かいところは特殊な道具を使って、慎重に作业していきます。

広报叠 : ところで、あちこちにあるたくさんの穴はなんですか?

冨井 : あの穴は、建物の柱や井戸の跡だったり、畑仕事のために穴を開けて埋めた部分だったり。一見、何の変哲も無い穴でも、立派な遺構なんですよ!

金银财宝といったわかりやすい遗物以外でも、歴史を纽解くための贵重な遗构?遗物がたくさんあるんです。それらの大切な「手がかり」を探し出すのが僕らの仕事。何が埋まっているかに惊きもあるけれど、まずは「どう埋まっていたか」が大事。「〇〇が出たぁ!」だけじゃ、ただのお宝探しです(ピシャッ)。ちょっとした手がかりの一つ一つが积み重なって、「こうかな?」が、「やっぱりそうか!」へとつながっていくんです。

上空から见ると、いたるところ穴だらけ!

ちょっとした土の色の违いも见逃しません!

井戸がしっかりと残っていました。こんなに顽丈な井戸を作るなんて、昔の人はすごい!

一见ただの土のようでも、そっと表面をなぞっていくと、徐々に遗物が颜を出します。

Q. 「京大で発掘することのメリット」ってありますか?

内记 : 特に京大にはさまざまな学問領域があるので、ネットワークを活用して、学内外の異分野の研究者の力をすぐに頼れるところは大学ならではですね。例えば今回の発掘では、堆積学や建築学、保存科学の研究者に協力をあおぎました。また、発掘されたものの保存?分析のために、保存科学の研究者に遺物をあずけることもあります。すぐに他分野の研究者から協力を得やすいのは、京大ならでは!

Q. 発掘されたものはどうなるんですか????

広报叠 : これまでも、たくさんの発掘物があると思うのですが???。発掘されたものって、どうするんですか?

内记 : どんなものでも、京大構内の発掘現場から出てきたモノは国民の共有財産!ということで、決して無碍にはできません。なので、必ずどこかで保管します。

まず発掘直后の仕分けで考古遗物かどうか判断し、分析?データ化して记録した后、重要と思われるものはセンターに持ち帰り、センター内地下にある资料保管室か で保管。それ以外で、広く公开すべきと思われるものは京都大学総合博物馆で展示されたり。それ以外は「原因部局」で保管されます。

広报叠 : 「原因部局」って何ですか????

内记 : 「原因部局」とは、発掘する遺跡の発掘元となる部署や研究科、研究所等のこと。例えば今回の場合、職員宿舎の建て替えなので、管轄している「施設部」が原因部局になります。原因部局の保管場所は京大構内のどこかしらの一角にありますよ。学内のいたるところに、実は遺物が保管されているんです!

数々の贵重な遗物が眠る、センターの资料保管室に潜入!

そんなにたくさんの遗跡が発掘されているなら、発掘された遗物の数もすごいはず!

ならばそれも见たい!???と、続いて、発掘された遗物の保管场所の一つ「资料保管室」を冨井先生に案内してもらいました。

场所はいたって普通の校舎である某研究栋の地下。まさかこんな身近なところに、こんなナチュラルに遗物が保管されていたとは???。

ずらりと并ぶ専用のケース。このセンター内の保管室だけでも、およそ1,300个のケースがあるそう!

発掘された遗物はどうなるの?

ケースに记载されているのは、报告书番号、発掘场所、遗物滨顿。

発掘されたものは、その场で仕分けした后にまず袋に入れて现场事务所に持ち帰ります。発掘作业は限られた时间との戦いなので、即座に判断し、考古资料とそれ以外のものに仕分けします。この段阶では土まみれのまま。その后、遗物を丁寧に洗って、さらに仕分けします。

センターが重要と判断したものは、滨顿をつけてマーキングし、区别?管理。

こうして、発掘后は「どこの现场でいつ発掘された、何か?」をしっかり区别しておくことが重要。遗物には似たようなものが多いため、これを怠ると区别ができなくなるそうです???。

「この遗物は重要なものか否か?」を判断する际は、もちろん自分の知识だけでなく、他の大学や専门家など、さまざまなネットワークの情报を参考にしながら判断することが多いそうです。

そのため、人脉づくり、ネットワークづくりもとても重要!

似たような遗物が多いため、こうしてきっちりと区别して保管。

多くは遗物そのものにもマーキング。マーキングは、遗物に支障のない形で施しています。

区别された遗物はどうなるの?

仕分けされた遗物は、寸法を测定して、详细な図にします。もちろん図は手描き!

図にしながらじっくり遗物を観察すると、その作り方や素材で、それがどこから来たものか、その时代の社会情势や人々の暮らしなど、いろんなことが见えてくるそう。

「これは京都でみつかったものだけど、作り方からすると江戸のモノだな!」といったふうに。

どんな似た色の破片でも、「これは埴轮の一部だな」などは経験値で概ねすぐわかるそうです。さすが!

似たような破片でも、どんなものの断片か?は、経験で概ねわかるそう。

こうして细部まで细かく図にします。いや~、これは手のかかる繊细な作业。

遗物を採寸する「真弧(まこ)」という测定器。

こちらは2月から 総合博物馆で开催中の企画展 で展示している、弥生时代の贵重な瓮(かめ)など。企画展に出すものを选び出すのも先生たち自ら。

発掘当时はただの破片だった遗物を、こうしてつなぎ合わせる技术も、まさに职人技ですね!

遗构はどのように记録するの?

専门の技术职员さんの手で遗构が甦ります!

それでは、遗构はどんな形で记録するのでしょうか????

まず発掘现场で、现场の状况をつぶさに手描きで残し、その手描きの地层スケッチをパソコンでトレースしてデータ化します。これは何とも緻密な作业!

こうして、建て替えでまた元どおりに埋め立てられてしまう遗跡も、贵重なデータとして残すことができるんですね。

発掘において「地层」はとても重要なてがかり。「地层を一つ一つはがしてひもといていくことで、歴史や当时の生活が见えてくる」と先生は言います。

「考古学の基本はやっぱり現場。経験によって蓄積した情報や、培った観察力?判断力が何よりも大切。だから学生にはもっと現場作業を積んで欲しい! 最近はおもしろい講義も多いみたいだから、学生がなかなか現場に足を運べないという現実もあるんですけどね???」と先生。

确かに、どれもマニュアルで教えられることではないですよね。学生たちには、できるだけ现场で経験値を积んでほしい!

忠実に再现された遗构のデータ。とにかく、精密!

重要なモノは遗物だけでなく、土や砂の场合も!

ひと言で考古资料と言っても、それはモノだけとは限りません。

例えば、土や砂だって贵重な情报源。その时代の植物が混入していたり、花粉や微生物が検出されたり。

その他、人间の排出物などはとっても贵重なため、出てきたらすごく嬉しいそう。それを分析することで、当时の食生活などさまざまなことがわかるからです。

先生いわく、「トイレの跡があるとかなりテンションあがる!」んだとか(笑)。现场にあるものすべてが「ヒント」なんですね!

土や砂などが入ったタッパーもたくさん保管されています。

この土も大切! 植物学、地質学、火山学など多分野の研究者と連携できるネットワークをすぐに生かせるのも京大の強み。

そのほかにもたくさんの遗物が保管されています。全部见てみたい!

実はマルチな才能が必要な考古学の世界

それにしても、遗物の记録をとるための製図や遗构のスケッチなど、全部自分で手がけるって、考古学者って大変???。

「そうなんです。人手が足りないこともあるため、写真を撮るのも自分たちだし、図を描くのも、記録用の資料を作るのも自分たち。もちろん現場で発掘するのも、業者さんに指示を出すのも自分たちです。なので、考古学者は意外とマルチな才能が必要なんですよ! 僕は例外だけど(笑)」。

???と冗谈まじりに话す先生ですが、いやいや、冗谈抜きでそのとおりですね!

ここで発掘されたものを撮影します。考古学分野では、记録のために必要な写真の技术も重要。

デジタル技术がなかった时代は、このようにフィルムで保存していました。

こちらもデータ化が进む前の手描きトレース。昔は记録一つ取っても実に大変だったんですね。

遗跡発掘の 「実は!」

  • 発掘频度は、 世の中の景気に比例 する。建物の建设工事に合わせて発掘が决まることが多いため、 好景気=建物がやたら建つ=発掘作业も多 、ということ。
  • 日本の遗跡発掘はとても多く(现在、 年间约8,000件! )、 遗跡発掘専门のセクションをもつ业者はたくさん ある。
  • 考古学者には、写真の技术や画才だけではなく、现场での即座の判断力、现地の人々とのコミュニケーション能力も必要。なので、 考古学をやっている人间は「能力バランスの良い人材が多い!」 そう。海外では、考古学出身は公司でも就职に人気だとか。

文化财総合研究センター の実は!(前编)」、いかがでしたか?

大学構内で遺跡がわんさか発掘されるとは、まさに京都大学ならではの「実は!」。もしかすると、今働いているこのデスクの下にも、貴重な遺跡が眠っているかも???などと、妄想が膨らむ広报叠でした。

次号の「京大の実は!Vol.38~「文化财総合研究センター」の実は!(後編)」では、発掘された遺物のもう一つの保管先「尊攘堂」をレポート。

重要文化财でもある尊攘堂の内部、现在そこに保管されている遗物の数々を绍介します!さらに、かつて尊攘堂に寄赠?保管され、今は附属図书馆の地下に眠る贵重な维新の遗品(※一般非公开)も绍介しますよ!

3月号の「京大の実は!」もぜひお楽しみに!

さらに今なら、総合博物馆でこんな企画展もやっています!

京都大学総合博物馆企画展「文化财発掘Ⅱ」ー京大キャンパスの弥生时代ー

今回の特别展では、吉田キャンパスで见つかった弥生时代遗跡の発掘调査成果を展示します。およそ2400年前の前期の水田跡は、洪水による厚い砂の堆积にそのまま埋もれて见つかり、周囲の地形とともに良く残されていました。また、水田を廃絶させた洪水层の上には、方形周沟墓(方形に沟で区画した墓)が筑かれていました。また、水田から300年ほど后の中期后半の墓からは、周辺の各地域の特徴を示すさまざまな形や文様をもつ土器が出土するなど、当时の人々の交流范囲や葬観念をうかがうことのできる非常に兴味深い内容の资料群です。

3月26日(土)と4月2日(土)には関連講演会もあります! 今回登場した先生の講演も! (详しくは をご覧下さい)

  • 開催日: 開催中~2016年4月17日(日)(休館日:月曜日?火曜日)
  • 会場: 京都大学総合博物館(9:30~16:30(入館は16:00まで))
  • 京都大学総合博物馆ホームページ

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京都大学文化财総合研究センター

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