留学体験談 平成19年度
海外留学はそれぞれの人の目的に沿って多様です。ここでは派遣留学で海外で勉强をした先辈たちの大学间交流协定校への留学体験谈を绍介します。
(平成19年度の留学报告书より。本人の了解を得て掲载しています。)
- フランス语での讲义、英语での讲义を受けた。フランス语のレベルが向上し、発音やリスニングも非常に改善された。経済分野の英语讲义では、ベルギー人5人と组んだグループで讲义前に集まり、情报収集、资料作成等を通してヨーロッパ诸国のコーポレートガバナンスの相违点を学んだ。异なった人种の人々と共同生活するなかで、さまざまな问题や衝突を共に乗り越えることで、理解力や视野の拡大、精神力の强化など、人间性も伸ばせた。
(経済学部3回生→ベルギー?ルーバン カトリック大学) - 向こうで学んだ语学の新しい知识は大変新鲜で、今后の学习の粮になった。讲义を行っている先生方が取り组んでおられた素晴らしい研究を直接学ぶことができた。异文化で顽张って一年间暮らしたことも良い経験になった。海外では、日本では暗黙のうちに通っていることが必ずしも通用しないということをまざまざと见せつけられた。たとえば、何かの契约を结ぶときには相手が亲切に説明してくれるということを期待してはならず、自分から、どういう利害があるかを积极的に讯かなければ损をしてしまう。そういったやりとりを外国语で顽张ってするのもいい勉强になった。また、国籍?言语?文化等の违いを超えた交流ができ、信頼のおける友人を世界中に作ることができた。
(文学部4回生→フランス?グルノーブル大学) - 留学先の法学部の留学生课で、日本人は语学力を伴っていないという理由で受讲讲义数を减らすよう勧められてショックだった。そのことで悩んだ时期もあったが、あきらめたくないという思いが逆に最大の原动力になった。できる范囲で学部の讲义に参加し、できる限りの时间をドイツ语でしゃべることに使い、ドイツ语の习得に全力を尽くした。结果、留学生に対してのハンデがない宪法の试験に、自分にとって満足な成绩で合格することができた。自分の努力や语学力を认めてくれる外国人の友人たちができたことも大きな宝だ。
(法学部4回生→ドイツ?フンボルト大学) - ユトレヒト大学を选んだ理由は英语による授业があること、オランダが大陆法の国であること、贰鲍の中心であること、非常にリベラルな国であることなどだった。オランダ法の授业ではユトレヒト地方裁判所で傍聴したり、国际机构法?ヨーロッパ法では奥罢翱の交渉の场を模拟で実施するという実践的な内容が含まれていた。最も学びたいと思っていた贰鲍法の授业では、贰鲍加盟国において、加盟国出身の学生と一绪に贰鲍の法律について学ぶという贵重な経験ができ、贰鲍について基本的な知识を得ることができた。ユトレヒト大学の教育システムは京大のそれとはまったく异なったものであり、ユトレヒト大学の学生も、各国からの交换留学生も、学ぶことに対する姿势が日本の学生とは全く违うと感じた。
(法学部3回生→オランダ?ユトレヒト大学) - 政治学部において「Swedish Politics」でスウェーデンの政治制度の発展の歴史、政党政治、EU加盟後の変化について学び、「International Politics」では第一次世界大戦あたりからの国際政治およびEUとヨーロッパの関係について学んだ。この二つの科目を通して福祉?環境政策先進国スウェーデンの政治がどのように進んできたか、またEUがどのように構成されたかについての理解が深められた。世界中の学生が受講していたので様々な意見を聞くことができ、視野を広げることができた。スウェーデン語の授業も受講し、英語以外の言語を通じたコミュニケーションの楽しさ、大切さを学ぶことができた。
(法学部4回生→スウェーデン?ストックホルム大学) - スイスの大学は入学試験がなく、期末試験で半分以上の学生に「不合格」を出して退学させる体制だった。交換留学生も期末試験は普通の学生と同じ試験問題で、同じ評価基準だったのでものすごく勉強しなければならなかった。Corporate Financeでは企業の財務や金融について勉強し、会社での応用力を身につけた。Public Financeでは色々な社会のモデルを勉強し、数学力を高めた。Decision Makingは理論的な意識決定論とそのビジネスでの応用を勉強、Manufacturing Historyではケーススタディを通し、オペレーションの視点から企業の発展について勉強した。Risk and Health Insuranceでは高い数学力を求められ、保険金額の計算の勉強をした。ゼミでは日本の90年代からの不景気についてフランス語でのプレゼンテーションを行い、15ページのレポートを書いた。スイスでの勉強を通し、自分の数学力と応用力の不足を感じた。京大では90点だった数学力がスイスの大学ではまだまだだった。一年間で一番上達したのはフランス語力、英語力、そして数学力だった。
(経済学部3回生→スイス?ローザンヌ大学) - 英语讲座では会话の练习や英语での科学论文の书き方を学んだ。通常の授业では森林や环境问题、野生生物についての讲义を受讲し、农场の実习も経験した。様々な分野の讲义が受讲できたので、京大内で学习する以上に幅広い知识を身につけることができた。多くの学生はわからないことがあれば教授の话の途中でも手を挙げて质问し、教授も一生悬命答えていた。学生と教授が同じ目线に立って、コミュニケーションを基に讲义が组み立てられており、こうした质疑応答やディスカッションへの参加が楽しかった。寮には世界各国からの留学生がおり、お互い自国の料理を振舞ったり、学内では多くの行事やパーティーが开かれ、多くの友人ができた。
(农学部4回生→カナダ?颁搁贰笔鲍蚕连合マギル大学)&苍产蝉辫; - アメリカ政治の中枢、ワシントン顿颁は文化、情报、人が世界中から集まる非常に刺激的な町だった。交换留学生も正规生と同じレベルで课题をこなすことが求められ、留学当初はノートテイキングやリーディング课题などで苦労したが、最先端の题材を用いる授业は大変兴味深く、教员がアメリカ国务省の现役职员で、国の中枢での仕事について生の话を闻くことができたり、最先端の研究をしている専门家に授业の课题でインタビューできたりと、ワシントン顿颁ならではの体験を通して常に高いモチベーションを持って勉强に励むことができた。日本の大学と比べて课题は遥かに多く、留学中は常に何らかのレポートを书いたり、调べ物をしていた。単に与えられる课题をこなす以上に、アメリカの大学では能动的に学ぶ姿势を求められていることが体感できた。
(法学部4回生→米国?ジョージ?ワシントン大学) - 留学生向けアカデミック?ライティングの授业では英语での论文の书き方を学び、様々なテーマで5回ほどレポートを作成した后、最终的には10枚を越えるレポートを完成させた。準备、情报収集、书く过程、それぞれの段阶で指导、评価があり、一番大変な授业だったが力がついた。また、多种多様な人との関わりで価値観が変わり、视野が広がった。
(総合人间学部3回生→米国?ハワイ大学マノア校) - オフィスアワーが充実していたので、先生方から授業以外の時間にも学ぶことができた。履修した広告の授業はグループワークやプレゼンが多く、自分たちのグループの特性をうまく表現したhouse ad作りや、既存のCMや宣伝ポスターの分析、評価などを行い、実践的でとても興味深かった。勉強以外ではペンシルベニア大学のチアリーダー部での活動や練習に参加させてもらい、実際にハーバード大学やダートマス大学での試合遠征にも行き、本場のチームで活動することができてとても嬉しかった。ペンシルベニア大学以外の多くの学生とも友達になれ、非常に刺激的で充実した時間が過ごせた。
(経済学部4回生→米国?ペンシルベニア大学)