京大の「実は!」痴辞濒.2 京都大学には、実は「大学所有の重要文化财がある!~清风荘(2)建物编~」

京大の「実は!」痴辞濒.2 京都大学には、実は「大学所有の重要文化财がある!~清风荘(2)建物编~」

 メールマガジン痴辞濒.77にて、红叶真っ盛りの庭园を主にご绍介した、京都大学初の指定重要文化财(建造物)である「清风荘」。本学の迎宾、会议目的で利用しており、一般には非公开の施设です。

 第2回目は「建物」にクローズアップし、その内部も含めて详しくご绍介します。


清风荘


敷地地図

航空写真(左上部の緑地部分が清风荘。平成23年撮影)

 清风荘の起源をたどると、享保17(1732)年頃徳大寺家の別邸として建築されたもので、その後住友家の所有となり、西園寺家がそれを使用していたものです。現存する家屋などは西園寺公望公の時代に改築増補したものですが、特に邸内の茶室と改築された庭園は名高く、茶室は貴人口(きにんぐち)と称して珍重され、また敷地面積の9割を占める庭園は、作庭家として高名な小川治兵衛氏(植治)の作庭で知られています。

 现在の建物は、主に当时名工と謳われた大阪の大工?八木甚兵卫氏の手によるもので、明治43(1910)年に着工し、5年を费やして竣工しています。工期が长くかかったのは、建材の选択と乾燥によるものと考えられます。建物の造営には公自身が材料や形式について细かく指示されたというだけあって落ち着いた気品が漂っています。

 四季折々の表情を魅せる自然美に溶け込みつつも、しなやかな存在感を醸し出す建物风情は、庭园に劣らぬ価値があります。

 建物は主に、东、中、西の3栋よりなり、いずれも机能的な造りとなっています。敷地の西半に主屋(中栋?西栋)を中心として建物を配し、东に离れ(东栋)、北に土蔵と纳屋、附属屋、南に茶室、西に正门を设けています。


主屋

离れ

土蔵

茶室と供待

左:正门、右:第一中门

主屋の中庭

主屋 

 主屋は各部屋を大小の中庭を介して接続し、中栋の2阶座敷からは东山を望みます。いずれの建物も上质の数寄屋建筑で、落ち着いた室内意匠となっています。

中栋:木造2阶建で、他の栋と比べ、各部屋の间取りは小さくなっています。

西栋:木造平屋建で、天井板は、佐野笹目という有名な杉材で、九州の山王神社の老杉であるという説があります。この栋は主に会议室として使用されました。


主屋内部(第一会合室)

主屋内部(第叁会合室)

 この主屋で西园寺公望公は日常食事を取り、好んで嗜んでいた吟醸を酌していたという记録もあります。

 また、「淸风庄のこの部屋から眺めると、静寂暗裡に燃え盛る火は鲜かに见られ、宛ら悠远大古に居る様な感がする。また以て炎暑の夕に添へられた京洛の情趣でもある。」との记録もあり(注)、当时は主屋(中栋2阶)から、京の风物诗「五山の送り火」で有名な大文字山の大の文字が见えたそうです。

 現在では、周辺環境や景観の変化から見ることができなくなってしまいましたが、离れからはその一部のみ見ることができます。

离れ 

 木造2阶建で茶室间取り造りになっています。1阶の廊下は4间継ぎ目无し(栂の木)、床柱は杉自然皱、床板は松の赤身一枚板、栏间は櫛型造りであり珍しいものです。


离れ内部(2階)

离れ内部(第二会合室)

 名工の手仕事と自然が织りなす美しい眺めは、ここを访れた多くの人々に穏やかな心の静寂をもたらしてくれたことでしょう。

 京都大学が夸る、贵重な文化财として、これからも大切に、将来へと継承していきたいと思います。

参考文献

野内芳藏(1941) 「淸風莊と陶庵公の想出」 住友本社人事部厚生課 編 「井華」第2号 P76

「清风荘のご紹介」 京都大学

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