京大の「実は!」痴辞濒.8 京都大学の「楽友会馆の実は!~(2)后编?知られざるエピソード~」

京大の「実は!」痴辞濒.8 京都大学の「楽友会馆の実は!~(2)后编?知られざるエピソード~」

 前回、京都大学の「楽友会馆の実は!~(1)前编?施设编~」にて、施设内部を绍介した京都大学「楽友会馆」。


左から楽友会馆外観、1阶西侧廊下、东侧廊下

 1925(大正14)年に京都大学创立25周年を记念して建てられたこの会馆は、2010(平成22)年9月に改装を终え、当时の趣きを残して会议室や喫茶食堂を备えた会馆として再生し、现在は主に本学の教职员の方々の学术交流の场として使用されています。

 前編に引き続き、後編では、この楽友会館に長年携わってきた現役スタッフの中から、本学職員の坂本安行 氏、野村篤 氏、小谷光弘 料理長、長岡兼幸 マネージャーに、楽友会館にまつわる様々な歴史的エピソードをお聞きしました。

楽友会馆の歴史をよく知る4人に闻く、「楽友会馆の実は!」 


左から坂本氏、长冈マネージャー、小谷料理长、野村氏。楽友会馆2阶(会议室6)にて。

蚕.施设自体は、昔と大きく変わったのでしょうか?

长冈:楽友会馆は时代の変化とともにさまざまな使われ方をしてきました。创设当初は同窓会馆として建设されたため、宿泊室やレストラン、ホールなどを备え、娯楽施设、结婚式も挙行できる本学の记念的建造物として爱されてきました。当时は馆内の娯楽环境も充実していて、隣接する别馆にはビリヤード场もあったと闻いています。写真は残っていないのですが???。

~松本総长もかつてここで结婚式をあげていた!

长冈:当時、楽友会館で結婚式をあげる大学関係者もたくさんいました。まさにこの部屋が神式のチャペルのようになっていてね。松本紘 総長も、ここで式を挙げられたそうです。過去の歴代総長や教授などの多くがここで挙式をされています。だから松本総長は今でも、プライベートでも食堂をよく利用されますよ。大学院生のときには研究室のセミナーの後などにも利用されていたようですし、思い出深い場所なんでしょうね。


松本総长(当时24歳)の结婚式集合写真(1967年10月10日)


结婚式终了后に同馆正面入口にてご夫人と

野村:思い出といえば、改装を机に玄関部分はスロープをつけて安全に出入り出来るように改修されたのですが、昔を知る人の中には「入口のステップ、なんであんなにキレイにしたん?」と残念がる声もあったり。当时は访れる人々の踏み込みで、入口の石の阶段部分がすり减っていて、それが懐かしくて良かったのに???と(笑)。


一部、名残のある石段部分。正面の石段はこれが凹むほどすり减っていたとか。

また、歴史的なことを言えば、米军による接収时代は、将校クラブとして利用されていて、ダンスホールがあったり、馆内にミラーボールがあったというような话もあります。いずれも资料が残っていないので、当时を知る人の话でしかないのですが???。 

蚕.食堂にまつわるエピソードはありますか?

小谷:メニュー数は减らしましたが、现在も、メニュー自体は当时からほとんど変わっていません。


现在の人気メニューの一部をご绍介。薄焼き卵でチキンライスを包む正统派のオムライス(左上)は、世代を问わず大人気(単品で750円)。本格的な洋食メニューが赘沢に楽しめる、日替わりのランチセット(食后のコーヒー付きで980円、右上)。夜のスペシャルコース(下)は、盛りだくさんの内容でなんと3000円というお値打ちメニュー。ほとんどのメニューが昔ながらのレシピを大切に守っている。

 

~当时大人気だった幻のメニュー「グラタンライス」

小谷:ただ、今は无い、当时大人気だったメニューの一つが「グラタンライス」。これを求めて、访れる年配の方が今でも実に多い。何度か復活を试みたこともあるのですが、どうも当时の味が出せない???ということで今では封印しています。

长冈:昔は食器やカトラリー(フォーク、ナイフ、スプーン)も统一されたものを使用していました。改装を机に、ほとんどを一新してしまいましたが、今でもコーヒーブレイクでお出しするカップとソーサーは当时のデザインのものです。このロゴ体と金色のラインが楽友会馆の定番デザインでした。


今では数少なくなった昔のデザインのカップ&ソーサー

小谷:料理のレシピや盛りつけなども、ほぼ当时のまま。大きく変えないからこそ、その面影を懐かしみに来てくれる人がたくさんいます。「あのときの味と违う」「昔はこういう风に出てきたのに???」など、厳しいお声を顶くこともありますよ。そんな人々の思い出を大切にするためにも、当时の面影は大切に残していきたいと思っています。

现存している贵重なものを守りゆくために

坂本:楽友会馆は时代とともに様々な使われ方をされてきた変迁があるため、破弃されてしまった家具や调度品など贵重な物もたくさんあります。今となっては当时のまま现存しているものは一部になってしまいました。そんな中、照明はほとんどが创设当时のものです。当时の职人さんも今は亡く、现在の技术では作れないものばかり。だからこそ、贵重な大学の财产として大切に守っていかねばなりません。


左から、野村氏、小谷料理长、长冈マネージャー、坂本氏

今回お话をいただいた4人の方のプロフィール(※五十音顺)

  • 料理長 小谷 光弘(こたに みつひろ)
    1974年から一贯して会馆(楽友会馆、京大会馆)の调理业务に従事する。
  • 施設部 坂本 安行(さかもと やすゆき)
    1970年 京都大学工学部を皮切りに、約40年間、様々な部署で大学事務に携わる。
    2010年から京都大学 楽友会館?時計台記念館担当に従事
  • 食堂?宴会マネージャー 長岡 兼幸(ながおか かねゆき)
    1971年 京都グランドホテル(現、リーガロイヤルホテル)を経て、1978年から一貫して会館(楽友会館、京大会館)の接客業務に従事する。
  • 施設部 野村 篤(のむら あつし)
    1977年から、会馆(楽友会馆、京大会馆)の窓口接客事务と建物管理等に従事する。