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京都大学広报誌『红萠』

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授業に潜入! おもしろ学問

2022年秋号

授業に潜入! おもしろ学問

人文?社会科学科目群/教育?心理?社会 心理学 Ⅱ
法心理学があぶり出す 私たちの「記憶」のあいまいさ

大倉 得史
人间?环境学研究科 教授

「自分とは何か」、「アイデンティティとは何か」を考える心理学Ⅱ。「自分」という存在は、自身の内面だけではなく、他者との関係や置かれた状况などの影响を多大に受けている。もう一つ重要なのが、今回の授业で扱う「记忆」。昨日の自分、今日の自分という记忆が、「私はこんな人间だ」というアイデンティティを构筑していく。では、この「记忆」はどれほど确かなのだろう。法学と心理学の知见を融合した法心理学の事例を通して、记忆のあいまいさに切り込んでみよう。

受讲の前に...

この授业では「〈自分〉とは何か」「〈自分〉はどのようにできているのか」を考えています。前半は発达心理学、后半は社会心理学?法心理学の観点から、〈自分〉が他者との関係の中で形成?维持されていること、それゆえ他者との関係次第では容易に崩壊?刷新され得ることを见てきました。〈自分〉が他者によって规定されているというと、「いや、他者がいなくても记忆があれば、私はこんな人间であると确信できる」と言う人がいるかもしれません。ですが、その记忆そのものが他者との関係の中で作られているとしたらどうでしょうか。

今日取り上げるのは「记忆」です。记忆というと、体験した事実が脳内に刻まれたものと一般的には考えられています。ところが、心理学の研究成果が示すのは、人间の记忆は想像以上にあやふやで変わりやすいということ。例えば记忆を思いだす过程で受けた事后的な刺激を取り込み、元の记忆が改変されることがあるのです。この立场に立てば、私たちが事実だと思っていることは现実の出来事を正确に反映したものではなく、私たちの记忆の働き、あるいは记忆を呼び起こそうとするコミュニケーションなどによって作られるものだという见方が成り立ちうるのです。

今回はそれを刑事裁判に焦点を当てて考えます。裁判ではしばしば被害者や目撃者の供述が、事実认定の重要な証拠となります。しかし、供述が実际に起きたことを反映したものであるかどうかを、どう见分けたら良いのでしょうか。そのためには、心理学の知见が必要ではないかと言われ始めています。

供述はどのような心理的メカニズムで形成されるのでしょうか。供述が体験に基づくのか、それとも勘违いや思い込み、あるいは虚偽なのかを见极めるのが供述心理学です。

见事に一致する5人の児童の供述

例として、1974年に兵库県西宫市で起こった「甲山(かぶとやま)事件」を取り上げます。

概要 ● 知的障害児の养护施设「甲山学园」で児童础(12歳)が行方不明となった。2日后に児童叠(12歳)も行方不明となり、捜索の结果、园内のトイレ浄化槽内で2人の遗体を発见。20日后に施设の保育士であった齿(22歳)が逮捕された。逮捕の10日后に自白するが、数日后に否认に転じ、処分保留のまま釈放となる。その后、検察による不起诉决定、3年后の「新供述」に基づく第2次逮捕などを経て、事件から25年后の1999年に无罪が确定。(寮の平面図

第2次逮捕の决め手となったのが、事件当夜の午后8时すぎ、齿さんが叠君を连れて寮から出るのを见たという、5人の児童の新たな目撃供述でした。

寮の平面図

 5人の供述の関係(一部抜粋)

これらの供述を见ると、见事に供述が一致しています。検察はこれを有罪の証拠として裁判を闘いました。さて、ここに合理的な疑いを入れる余地があるかどうか。これがグループワークの课题です。では、班に分かれましょう。

事件から3年后に现れた决定的な新供述

供述について考える前に、いくつかヒントを提示します。まず、それぞれの供述は、どの时点で出てきたものなのでしょうか。齿さんの初回の逮捕までに出てきた供述は补?别。逮捕后に驳が出ましたが、丑以降の供述は釈放から约3年后です。核心的な内容を语る児童贵君の供述に注目し、顺に追っていきましょう。

事件から约10日后、约1年后、そして、事件から约3年后に出てきた核心的な供述の抜粋を别纸にまとめています。

 児童贵の供述の変迁

事件から10日后

午后7时?8时ごろ、テレビを见ていた

叠は、部屋「さくら」で女の子たちと先生ごっこをしていた

午后8时ごろ、さくらに行くと叠はいなかった

パジャマに着替えていると、先生が『叠がいなくなった』と、懐中电灯を持って押入れや便所などを探していた

その后は寝た

事件から1年后(一部抜粋)

贵が语ったこと
「ぼくは见ていないが、滨君は知っていると思う。滨君から『叠は女子栋の廊下を歩いて出ていった』と闻いた」

事件から3年后(一部抜粋)

夕食后、叠は滨に腕を持ってもらって寮に帰った

女子保母室前まで来たとき、女子栋の一番端あたりで、嫌がって座り込む叠を女の人が立たせようとしていたのを见た

怖かったので、トイレに隠れて见ていると齿だった

齿は叠の足を引っ张って、外に引きずり出してドアを闭めた

非常口まで行ったが怖かったので、外は见なかった

早に帰ってから驰先生が叠を探しに来たが、怖かったので『知りません』と嘘をついた

 论告抜粋

……ドアが闭まった后、すぐ非常口ドアのところに行き、ドアをさわったが开かず、横の窓から外を见たり、女子栋洗面所の上へ上がって横の窓から里を见たが、暗くて见えなかった。……

こうした供述をもとに、検察は「论告」を作成します。论告をもって、これが君の体験であり、目撃したことだと検察は主张しました。

问い

5人の児童の供述、あるいは贵の供述は、事件当夜、齿が叠を连れ出したことを里づけるものと言えるだろうか。そうでないとすれば、どこがおかしいだろうか。

供述の违和感を考えてみよう

では、班でまとめたことを绍介してもらいましょう。

1班 ● 贵君の供述に、「非常口まで行ったが怖くて外は见なかった」とありますが、検察の论告では、「(贵君は)窓などのいろいろな场所から外を见ようとしたが暗くて见えなかった」と変わっています。

全てを绍介できていませんが、外は见ていないと言ったり、见たと言ったり、贵君の供述は闻かれるたびに変迁しました。検察は、「见た」と言った供述を使い、论告をつくったのですね。

1班 ● 违和感があったのは、事件から1年后は「(叠君を)自分は见ておらず、他の児童から闻いた」と言っているのに、3年后にいきなり「自分が见た」という証言に変わったことです。

2班 ● これから起こる事件のことを知らないのに、何気ないことを细かく覚えているのは违和感を覚えます。しかも、月日が経过するにつれて详细になっています。

そうです。贵君が叠君を见たとされるときには、事件がまだ起きていないことは重要です。

心理学者の目で见て、まず素朴に违和感を覚えるのは、5人の供述の补完関係があまりにも出来过ぎていることです。もちろん、事件直后に、それぞれが独立して、これらの供述をしたなら问题ありません。でも、逮捕前の児童たちの供述は、「叠がさくらの部屋で游んでいた(补?别)」、「そこに齿さんが呼びに来た(肠)」のみ。3年后の再捜査で贵君の核心的な供述が出てくると、その供述を补完するようにほかの児童たちの供述も出てきました。この流れはやはり心理学的に不自然。

ただし、これだけでは合理的な疑いには足りないでしょう。论告にある供述から、心理学的な问题をさらに见ていきましょう。

心理学の知见が示す新供述の问题点

何年も経っているにもかかわらす?、细部まて?明瞭に覚えているのは不自然

まず、3年后に初めて出てきた供述なのに、あまりに详しい。印象的な出来事であれば、3年后でも鲜明に思い出せたりします。ところが、核心部分に直接関係しない些末な事柄は、记忆が急速に失われます。当时をありありと语る内容よりもむしろ、自然な忘却を含む供述の真実性がより高いともいえます。夕食后に叠君は滨君に「腕を持ってもらって」寮に帰ったとありますが、事件と関係ない些末な行為の细部をよく覚えています。

さらに、1班が指摘したように、核心的な场面が変転します。印象的な出来事は时间が経っても同じように语れますが、これは一定期间生き残った记忆は忘却や変动をしにくいという长期记忆の特性です。ところが、3年が経ち、长期记忆になったはずの贵君の供述は、わずか数日の间に大きく変迁していました。

事后的に知った情报を元に再构成される〈记忆〉

つづいて、2班の指摘とも関係しますが、これが决定的でした。论告では、「2人がドアを出てすぐに非常口に行ったが、ドアが开かず、横の窓から外を见たり、女子栋洗面所の上に登って横の窓から里を见た」とあります。

2人が出て行ったので、窓から姿を追いかけたのは理解できます。ところがその后、自分の背丈では届かない窓によじ登り、浄化槽の方向を见ようとしている。浄化槽でこれから杀人が起こることを知らないはずの行动としては不自然です。つまり、贵君は事后的に知った情报を元に、当时の自分の行為を作话したわけです。このように事后的な情报が、当时の记忆を脚色?歪曲する现象を「记忆の逆行的构成」といいます。

これはよくあることです。例えば、好人物と目されていた人が逮捕されたとき、后からその人の印象が変わることはあります。しかし、贵君の场合、単なるニュアンスの変更ではなく、「行动」を伴っています。

さらに「怖かったので女子トイレに入った」とありますが、夜8时というと、就寝时间が近づき、いろいろな场所で游んでいた児童たちが自室に戻る时间です。児童が保育士に连れられて歩く姿は见惯れた光景にもかかわらず、事件当夜はそれが怖くてトイレに隠れたというのです。これも、「これから叠が杀される」ということを知らないはずの贵君が取り得ない行动です。ここに贵君の供述の虚偽性を见て取ることができるのです。

甲山事件では、発达心理学者がこれらの问题点を指摘し、幸いにして齿さんは无罪となりましたが、実际の裁判ではこうした危うい供述によって有罪が下されてしまうケースがないわけではありません。捜査机関と供述者のコミュニケーションにより「记忆」が作られ、裁判所も巻き込んで「事実」が作られてしまうわけです。そのプロセスを心理学的に明らかにし、冤罪を防ぐことは非常に重要です。心理学的な知见が社会の中で活きる例を感じていただけたかと思います。では、本日はここまでです。

受讲の后に...

授业では、数回にわたって甲山事件を取り上げる。取材した回の次週の授业では甲山事件の再现実験を绍介。〈自分〉を支えている「记忆」が他者との间で作られていく过程について、より详细に考えていく。

おおくら?とくし
1974年、东京都に生まれる。京都大学大学院人间?环境学研究科博士课程修了。九州国际大学准教授、京都大学大学院人间?环境学研究科准教授などを経て、2019年から现职。公认心理师、临床心理士。

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