> > 学生?卒业生绍介
2018年春号
私を変えた あの人?あの言葉
千松信也さん
猟师
「千松くん、寝てるんでしょ?!」
文学部东馆地下の自治会室。ドアを叩く音で目が覚めた。薄汚れた二段ベッドから这い出して、ドアを开けると、事务のお姉さん。
「3回生からの専攻の希望出してないの、もうあなただけなんだけど?」
「あーそうですか。まぁ授业も全然出てへんし、どこでもいいかな」
「だめだめ、そんなことじゃ。そうねえ、あなた自治会とかやってるんだったら社会学は? ……あ、ダメ、もう定员いっぱい。あ、现代史学なら入れるかも。あそこもそういう人多いし。じゃあ、もうそれでいいね!」
こうして僕はぶじに研究室に入ることができた。「猟师やりながら本まで書くなんて、さすが文学部!」なんて言われるが、史学科なので、じつはあまり関係ない。
学生时代に猟を始めて、最初の获物はシカだった。悬命にトドメを刺し、バイクに缚り付けて持ち帰った。覚悟して始めたはずだったが、やはり自分と同じくらいの大きさの动物の命を夺うことには思った以上に抵抗があり、动揺した。
当时、住んでいたのは吉田寮。シカを担いだ僕のまわりに寮生がどんどん集まってきた。
「おー! すげえ」
「こりゃあ、全寮放送せなあかんな」
「まあ、とりあえず千松も饮めや」
変わらないいつもの面々に会い、さっきまでの心の葛藤や紧张が一気に和らいだ。
放送を闻いた同期入寮の留学生が包丁を片手にやってきた。
「千松サン、ワタシ、中国ではよくヤギさばいてたヨ」
寮の前の広场で解体。焚き火で炙ってどんどん肉を食う。
「めちゃくちゃうまいわ」
「つぎはイノシシやな」
结局、一晩で一头まるまる食べ尽くした。このとき、みんなに喜んでもらえたことが、僕がいままで猟を続けていられる原动力となっているのはまちがいない。
11月祭で屋台を出して获物の肉をふるまったこともあった。そのときは、学生よりも用务员さんや警备员の方に好评で、ずいぶんなかよくなった。
「にいちゃん、ついに卒业するんか。さびしなるなあ」
吉田寮の受付までビールを一箱、卒业祝いに持ってきてくれた某S学部の用务员さんのことは忘れられない。
そう、特定のだれかではない。休学?留年を入れての10年间、好き胜手やって过ごした学部生活。そのなかでお世话になった方がたや友人たちとの多様な出会いがいまの僕を形づくっている。
「なんで京大まで行って猟师なの?」
散々言われた言叶だが、僕は京大に行ったおかげで、自分の人生についてじっくりと自由に柔软に考えることができ、この道を选ぶことができたのだと思っている。
学生时代、捕まえた获物はバイクで运搬した
9年间を过ごした吉田寮の一室にて。长髪だったころ
せんまつ?しんや
1974年に兵庫県に生まれる。京都大学文学部在籍中に狩猟免許を取得し、先輩の猟师から伝統のわな猟、網猟を学ぶ。鉄砲による猟は行なっていない。現在も運送会社で働くかたわら猟师をつづける。著書に『ぼくは猟师になった』(新潮文庫)、『けもの道の歩き方──猟师が見つめる日本の自然』(リトルモア)。狩猟啓発イベントや市民講座などでの講演も各地で実施している。