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2018年春号
研究室でねほりはほり
マリオ?ロペズ先生
东南アジア地域研究研究所 准教授
「いろいろな场所をうろうろと歩んできた人生なんです」。日本を拠点に、アジア太平洋地域における看护师や介护士などの労働者や移民たちの流れを研究するマリオ?ロペズ准教授。イギリスに生まれ育ち、そのときどきの好奇心を追い风に、进路を决めてきた。母国を离れて、17年。あらためてふりかえってみると、その道はけっしてまっすぐではなかった
「まさか日本で何年も暮らすことになるなんて」。マリオ?ロペズ准教授が大学院生として日本にはじめてやってきたのは、2000年のこと。十代后半は书店员として働いたり、そのご、金融街で会社员をしながら大学に通ったりと、多彩な経験を积んだ。ロペズ青年の眠れる好奇心をよび覚まし、日本への扉をひらいたのは、大学院で南米を対象とした研究にはげむなかで出会った「移民」というテーマ。「80年代后半の日本のバブル景気や、1990年の出入国管理法改正を机に、ブラジルやペルーから日本に出稼ぎにでる日系人が増えました。こうした状况が生まれるのはなぜか。南米の国ぐにの政治経済の状况や近代史、そして人びとの语りから迫りたいと考えたのです」。
思いたった势いのままに、在英国日本大使馆が派遣する国费留学生に応募し、东北大学に留学が决まる。しかし、日本という国に特别な兴味はなく、日本の印象といえば、幼少期に亲しんだテレビゲームと漫画くらいだった。「大学时代、二週めで受讲生が半减するような厳しい日本语の授业をなんとか最后まで受讲して、日本语にはすこし自信があった。(笑)父亲はスペイン出身で、私もすこし暮らしたことがありますから、ペルーの公用语であるスペイン语もわかります。フィールド调査は现地の人に话を闻くことがたいせつで、ことばが胜负。自分のスキルを客観的に判断し、日本への留学を决めました」。
东北大学で、ペルーからの日系人労働者の调査に1年半かけて取り组み、つぎは博士课程に……と思いきや、縁に导かれて访れたのはフィリピン、そして、国际交流员として働いた长崎市だった。研究への思いもあったが、调査する侧の立场で、现场で働く労働者と接する违和感が拭えなかったという。「実社会でもっと経験を积みたくなりました。いっぽう、フィリピンでの现地调査をつうじて、フィリピンへの関心が高まっていた时期でもありました」。
长崎での2年间は、故郷に戻るか、日本で研究をつづけるのか、岐路に立たされた时期でもあった。明け方まで営业する饮食店が轩を连ねる「思案桥」に足を运んださい、この一帯で働くフィリピン出身の女性たちが気になった。「仙台でも多くのフィリピン人に会ったけれど、彼女たちはなぜ日本にきて、どのように暮らしているのだろう」。素朴な疑问とこれまでの経験とが线でつながった。
同じころ、ある本と出会い、强い影响を受けた。「フィリピンでの30年以上の调査経験にもとづく、ゆたかな知识をまのあたりにして、『日本からもこんなに深く世界を语れるんだ』と、日本への误解と世间知らずな自分とを耻ずかしく思った。指导を受けるならこの人だと、その先生が当时、教鞭をとっておられた九州大学に出向きました」。それが、恩师と仰ぐことになる清水展东南アジア地域研究研究所名誉教授だった。
迷いのふっきれたロペズ准教授は、清水先生の薫陶を受け、九州大学での研究にぐっとのめりこむ。テーマは、「日本人とフィリピン人との国际结婚」。1970年代以降、フィリピンからの労働者が増え、都市でも农村でも日比カップルが増えた。「彼らの语りを集めて研究したいと。でも、家族や结婚はプライベートな事情。见ず知らずの若者に话をしてくれる人はなかなかいません。でも、ねばり强く、相手のことを考えながら耳を倾けると、ぽつりぽつりと人生経験をうちあけてくれるのです」。信頼を置いてもらえるまで、なんども足を运んだ。フィールドワークは3年にもおよんだ。
「调査をとおして、30年以上も前から、外国人労働者たちが地域に根を下ろし、家庭という小さな社会のなかで新しい人间関係の形をつくっている事例が多くあると知りました」。日本で移民をめぐる课题を考えるとき、これらの事例から学べることがあるとマリオ准教授はいう。「たとえば、カトリック教徒のフィリピン人女性と结婚し、キリスト教に改宗した日本人男性のケースがあります。结婚当初は居间に仏坛があり、べつの部屋に妻が拝む圣母マリア像のあった家庭が、しばらくするとマリア像は居间に移り、仏坛はなくなっていた。男性に闻くと、『妻の信仰心に魅了されたんだ』と。これは一例ですが、日本と东南アジアの人びとがどのようにつながることができるのかを考えるにも兴味深い事例ではないでしょうか」。
九州で筑いた関係はいまもつづく。「九州には定期的に足を运んでいます。継続して调査に协力くださる方や、友人としてつきあっている方もいます。九州は私を大きく成长させてくれた思い出ぶかい土地。『第二の故郷は』と闻かれれば、长崎か福冈と答えるかな」。
フィリピンで祝福を受けたのち、日本に运ばれた圣母マリア像(左)。フィリピンの方の自宅や教会などの祈とう会でだいじにつかわれている。右は熊本県人吉市の教会で、マリア像の包装を解いたところ。教会はフィリピンの方にとって、友人との恳谈?交流の场でもある
九州大学を修了后、大分県别府市の立命馆アジア太平洋大学の讲师をへて、2009年に东南アジア研究所(以下、东南研)に。人类学から、农学、生态学、政治学、医学まで、文理融合のもとに多様な分野の研究者が集う东南研での生活に刺激を受ける毎日だという。「同じ课题でも、分野ごとに调査方法が异なるので、话せば话すほど新しいことに気づきます。东南研は出会いの场でもあり、知恵を积み上げる场。创立から50年かけて蓄积された成果は、世界中の东南アジア研究者に有益な情报ばかりです」。
近年、力を入れるのは、外国人労働者として介护や看护に携わる人たちの国际的な动向调査。少子高齢化のすすむ日本でも、経済连携协定(贰笔础)にもとづき、フィリピンやインドネシア、ベトナムから年间数百人を受け入れている。「でも、日本には积极的な移民政策はなく、长期にわたって働くのはむずかしいと、やむなく自国に帰る人も多い。いっぽう、ドイツでも国内の看护人材の不足を高度な技能をもつ外国人で补っています。たとえば、ドイツ国际协力公社の设计したプロジェクトでは、母国から家族をよんでともに暮らせるなどの制度を整え、长期的に働ける施策がとられています」。近い将来、东南アジアの国ぐにも高齢化に直面する。福祉制度や介护设备が充分でないまま高齢化社会を迎えると、家族や亲族など、まわりの人たちに介护の负担がかかる。「日本とドイツとはめざす方向性や政策は违います。国ごとの事情を踏まえたうえで比较して、日本や东南アジアの国ぐににとって有益なケア政策を提言できる段阶まで、この研究を进化させたい」と意気ごむ。
市井の人びととの対话に、すすむ方角を照らされてきたロペズ准教授。「私の土台は人类学。人类学とは『他者との出会い、インタビューと参与観察に基づく研究』。人生において、人とのつながりはどのような影响を与え、どのような意味をもつのか。それは、私の人生のテーマでもあります。人と出会い、どんな新しい自分を见いだすのか、それが楽しみなのです」。
熊本での闻き取り调査
フィリピン?ビサヤ州立大学热帯生态环境管理研究所の教员と恳谈中。左からイアン准教授(マニラ大学)、ロペズ准教授、ホセ助教(ピサヤ州立大学)
裸足ランニング(ベアフット?ランニング)をしています。この靴は、その相棒で、7年前に购入したもの。ソールがものすごく丈夫なのです。
他国に行くたびに、民族楽器を探したり、现地の颁顿を买うことが好きです。ディジュリドゥはオーストラリアの先住民に伝わる楽器。瞑想などにつかわれるようで、楽器店で一目惚れしました。
写真はフィリピンの少数民族の伝统口琴、クビン。フィリピンでひろくつかわれています。口にはさみ、指で端をはじいて音を鸣らします。フィリピンの少数民族の仪式で踊るさいにつかいます。
座禅をしていたせいか窓侧に座るよりも、壁に向かって座るのが落ち着きます。
チベット密教で使用するシンギングボウル(りん)という法具です。长崎で毎週、座禅を组みに行っていた禅寺で関心をもって、インターネット通贩で购入しました。
东南アジアの若手の映像作家が制作したドキュメンタリー作品を集め、選考委員が選んだ5本を日本で上映するプロジェクトを6年前からすすめています。目的は、異なる視点から东南アジアを見直すこと。現地の作家がもっとも撮りたいものを撮ることで、研究者はもちろん、他国の人が気づかないことや見ていない姿をあぶり出したい。初年度に受理された作品は30本でしたが、2017年は103本の作品が集まりました。作品はホームページから、だれでも閲覧できます。()
フィリピンの漫画は社会的なテーマが描かれることが多いです。现実のパロディをとおして、现代社会がどんな问题にたち向かっているのかが表现されています。日本の漫画の影响もありますが、独特の作风が生まれています。フィリピンの社会や文化を理解するにもよい材料ですので、いつか図书馆に寄付したいです。
蔵书するマンガの一部
Mario Lopez
1974年にイギリスに生まれる。2000年にロンドン大学ゴールドスミス?カレッジを修了。2000年に东北大学に留学。2004年に九州大学大学院を修了。立命館アジア太平洋大学の講師をへて、2009年から現職。
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