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2020年春号
研究室でねほりはほり
金子守恵 准教授
大学院アジア?アフリカ地域研究研究科
「目に见えて触れられる〈モノ〉から社会の仕组みや、人びとの认识の仕方に迫りたい」、そんな思いでエチオピアの暮らしに欠かせない「土器」の研究を始めた金子守恵准教授。现地の言叶を习得しながら、言语化できない情报を、手仕事を手がかりにして、现地の土器职人に学び、粘土をこねる日々を过ごした。実际に土に触れ、村の人たちと交流して见えてきたのは、土器は暮らしだけでなく职人たちの人格を形作るようなものであるということだ。
「『なぜ、土器の作り方を子どもに教えないの?』と寻ねると、『私の手と、彼女の手は违うから教えられないよ』と」。エチオピア产の深煎りコーヒーの香りが漂う研究室で、金子准教授は答えてくれた。金子准教授が调査フィールドとするエチオピア西南部の村には、アリと呼ばれる人たちが暮らす。「台所に20?30个の土器が転がる光景はめずらしくありません。私たちには同じに见えてもそれぞれ用途が违い、どの世帯でも10个以上の土器を使い分けています」。
暮らしに欠かせない土器を作るのは、职能集団の女性たち。アリの人口约10万人のうち、350人ほどの女性が土器を作り、家计を支えている。土器职人の集団に生まれた女性は、ほとんど全员が土器作りに携わり、6歳顷には市场に并ぶ土器を作り始める。
「『作ってみなさい』と言われたその日から、すべての工程を一人で担当して作ってしまう。母亲や周りの人が介入したり、教えたりすることはほとんどありません」。ふしぎに思った金子准教授が母亲にそのわけを寻ね、返ってきたのが最初の言叶だ。
金子准教授自身も、调査を始めるときには职人のそばで土器作りを学ぶことを前提に村に入り、土器の成形に携わった。「手取り足取り教えることこそありませんが、作业のようすはいくらでも见せてくれます。そもそも手と身体にしみついた技术。口头で伝えたり、见るだけで盗めるものではないのです」。
露天で2时间程度焼成し、その后定期市に出荷する(2007年)
职人の娘たちは5、6歳になると母の手伝いができるようになる(2006年)
土器に取っ手をつける。部位ごとの大きさの违いに留意して使いわけられている
定期市の朝に焼成した土器を背负ったり、头の上に乗せて运ぶ
村人たちはクランと呼ばれる父系の亲族集団で暮らし、女性は结婚すると、夫の暮らす村に移住する。夫は农作业に従事するが、収入は微々たるもの。一家を支える収入のほとんどを土器贩売が占め、职人たちは稼ぎ头として期待される。「住む村が変わると粘土の质が変わり、これまでと同じ方法で土器を作れないことがあるのです。でも、〈教えない〉文化。职人たちは数か月间も试行错误して、自分の〈手に合わせた〉作り方を筑きあげます」。
结婚などで社会的な立场が変われば、土器の製法も変化を强いられる。职人たちが〈いま〉用いる製法は、その时どきの彼女たちの人生の结晶でもあるのだ。「だから、职人たちの『私の作った土器です』という言叶には重みがあります。彼女たちにとっても、土器が认められることは自分の人生を肯定されることにつながるようです」。
「土器作りは〈个人〉の人生の歩みと密接に结びついている」と金子准教授が気づくきっかけは、指导教员であった重田眞义先生(现?アフリカ地域研究资料センター长)の「个人に注目しなさい」という教え。アフリカの国ぐにを研究対象として见つめるとき、现地に暮らす人たちを〈××族〉などの集団で认识することは多い。「调査地では2000年代に就学率が100パーセントに达しました。同じ民族でも、世代が违えば教育背景や生まれた环境が大きく违うのです」。现代に生きる人たちを理解するとき、〈××族〉という见方では多くを见逃してしまう。そうして注目したのが、「土器を作るアリの女性たち」ではなく、「土器职人の○○さん」という〈个人〉だ。
土器という〈モノ〉をとおして、人びとの身体の使い方や、学习?习得の仕方などを见つめてきた金子准教授。〈私の手と彼女の手〉という言叶にも象徴されるように、エチオピアの人たちにとって、知识とは身体で身につけるもの。「エチオピアでは、〈知る〉は〈できる〉とイコールです。目で観察したり、书籍を読んで得たことは〈知っている〉とはいわず、〈见たことがある〉といいます」。
土器を购入する人にとっても、「手になじむ」土器は特别なもの。こだわる人には、自分に合う土器を作る职人からしか土器を买わない、いわば「リピーター」もいる。「〈上手い?下手〉など、ほかの品と比较する视点はありません。评価轴は自分にとってそれがふさわしいかどうかだけ」。自分にぴったりと合う土器を作る人との间には、ジャアラと呼ばれる特别なつながりが生まれることも。「土器が売れないときにはお金や食べものをゆずり受けたり、逆に土器をプレゼントすることもあります。土器职人たちは、文化?社会的に隅に追いやられ、周縁化される倾向にある人たちですが、そうした社会的な阶层の违いを土器が结んでいます」。
土器作りは文字に残したり、口头で伝承されないゆえに、土器を评価して利用するお客なしでは成り立たない。「土器というと、闭锁的?伝统的な暮らしを続けている人たちのものだと思われがちですが、土器作りはお客とのやりとりや、季节?社会的な环境の変化に影响を受けて変化します。时代ごとの〈ベストセラー〉が生まれるほど、その时代を反映した最先端のものなのです」。
〈モノ〉に注目する自身の研究のほか、积极的に村の人たちと関わり、调査地にない技术を导入する実践的な活动にも取り组む。「文化人类学には、対象の社会に影响を与えないよう、関わらずに観察する立场があることは承知しています。でも、実际に行って、それは不可能だと感じました。ならば、一方向のやりとりにならないように、村の人たちにも私たちを利用してほしい」。
エチオピアの南部では、エンセーテという植物の茎と根茎から取れるデンプンを発酵させ、蒸し焼きにしたものを主食にする。デンプンを绞り取ったあとには多くの繊维が残るが、利用されず、捨てられるだけだった。「専门家に协力いただき、繊维を活用してポストカードを作り、土产物として売ることを始めました」。
一方的に技术を伝えるのではなく、一つひとつの交流から、村の人たちの反応や意见を丁寧にすくいとり、记録する。この方法では、技术が金子准教授たちの手を离れ、村人たちの在来知となるまでには长い时间がかかることも承知のうえだ。「〈きれいに〉〈まっすぐ〉という感覚も私たちとは违います。お土产として购入する海外の方の感覚にも合わせつつ、村の人たちに合った作り方を収敛しているところです」。
2019年に、京都大学のアフリカ研究のハブ机能を持つ京都大学アフリカオフィスがエチオピアに设置され、他分野の研究者と连携した取り组みも増えている。研究をとおして培った现地の友人たちに窓口になってもらいながら、探究の旅は続く。「工学研究科の先生とともに植物由来の素材を活用した道路整备の技术开発にも関わっています。エチオピアの方たちと関わることができたから、今の私がある。なにより『フィールドに行くと楽しい』という気持ちも大きいのですが(笑)」。土器とともに丁寧に练り上げたネットワークを础に、尽きない好奇心の先を追い求める。
かねこ?もりえ
1974年、北海道に生まれる。京都大学大学院アジア?アフリカ地域研究研究科博士后期课程を単位取得退学。同研究科の特任助教、同大学院人间?环境学研究科助教などをへて、2016年から现职。主な着书に『土器つくりの民族誌』(2011年)、『身体资源の构筑と共有』(共着、弘文堂)などがある。
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研究室のヒミツ
コーヒーの発祥の地ともいわれるエチオピア。アフリカ地域で一番の生产量を夸る。エチオピアの人たちの暮らしにもコーヒーは欠かせない。
研究室のヒミツ
下のポストカードは、エンセーテの繊维で作った用纸に、乾燥させたエンセーテの叶を挟んだもの。右のエンセーテの叶のサンプルから、现地の人たちに、「きれい」と思うものを示してもらい、海外の旅行客の感覚とすり合わせながら土产物として収敛させてゆく。ハガキの柄の切り抜きにも、「魅力的」と思う线の违いが表れるという。
エンセーテは标高1,600m以上の地域で栽培されている。根茎部と偽茎につまったデンプンを発酵させて、主食にしている
エンセーテの偽茎につまったデンプンを竹ベラでかきだす
研究室のヒミツ
アリの人たちは、约60种类の土器を使う。そのうちの50种类は、下の表の4つに分类される。下の手のひらに乗った土器は水を运ぶティラのミニチュア。础、叠の赤茶色の土器もミニチュア。础はコーヒー用、叠は溶かしたバターを入れる容器だという。颁は、アリ以外の地域で作られたジャバナ。コーヒーの消费量の多いエチオピアでは、どの地域でもジャバナは欠かせない道具。どれも底は丸く、平らな面に置くと転倒するが、石をかませると凹凸のある地面でも安定して设置できる。
研究室のヒミツ
土器作りの研究をしていると、世界のさまざまな地域で调査研究している友人から土产物をいただく机会がある。地域内の素材を使った〈ものつくり〉が多くの地域で実践されている。